聴診器を首に巻いた男性医師の胸元

私の頭痛は、

衝撃的な痛みというよりは、

何と無く我慢すれば耐えられそうな、

そんな痛みでした。

けれども毎日、

朝起きてから、夜寝るまで頭痛は続きました。 

途中で

「意識を傾けることを止めてみよう」

と忘れようとしましたが、もちろんそれも難しかったです。

睡眠時間を増やしたり、食事に気をつけたり、運動を控えたりなど、沢山の情報をもとに行動していましたが、

2-3ヶ月経っても症状がほとんど変わらない

高校1年生の夏になった頃、

先ずは近くの診療所へ診断をしに行きました。

最初に言われた言葉が

「原因は分かりません」という言葉でした。

とてもショックでした。

その後も、内科、外科、耳鼻咽喉など病院を変えて行きました。

更に MRI検査や、CT検査、血液検査など様々な検査を行いました。

気付けば10を超える程の近隣の病院、総合病院に足を運びました。

あらゆるできる事をし尽くしました。

それでも お医者さんが口を揃えて言っていたことは

「明確な原因は分かりません」

という事でした。

ある総合病院では「脳下垂体」が通常よりほんの少し膨らんでいる事が検査で分かりましたが、

これが慢性的な頭痛を引き起こしたり私の症状と結び付くと考えにくく、手術も行いませんでした。

気付けば原因不明なまま、

高校1年生を終えて、高校2年生の冬まで時が経っていました。

その頃から私の性格も段々とネガティブになり、原因が分からない頭痛に対して卑屈になっていました。

両親にも、

「どうして自分がならなければいけないの?」

と 冷たく当たってしまったこともありました。

そんな中、私が今でも覚えていて、

両親に感謝しているエピソードがあります。

原因不明で苦しかった私でしたが、

ある日夕方頃に学校から帰宅すると、

母が机の上でうつ伏せになってうたた寝をしていました。

その顔の横には、インターネットで調べられた全国の沢山の病院の資料が印刷されていました。

印刷された用紙は、

何十枚と、何百枚もあったかもしれません。

「お母さんは自分以上に頭痛の事を考えてくれているんだな..」

と我に返った記憶がありました。

思い返せば、高校生の私を、

何十箇所もの病院へ車で連れて行ってくれたのはいつも母でした。

いつも母が隣にいてくれました。

頭痛になって気付いたことは

「頭痛の自分も苦しいけれども、どうしようもできない周りの家族もとても苦しいことなんだ」

と思ったことでした。

そんな教訓の中、

高校2年生の春頃に、父親が必死で情報を集めてきてくれて、教えてくれた、沖縄のある診療所が運命を変えてくれました。 

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